【長文】なもまるという人間について、抱えている病気・学生時代の思い出・会社員時代の苦痛。&両上腕骨内外側上顆炎の治し方

こんにちは!なもまるです!

今日はなもまるという人間についていろんな人に知ってもらえる機会になればいいなと思いなもまる自身についていろいろと書いてみたいと思います。

 

自分の事を書こうと思ったきっかけは、なもまるのSNSなどをみてくれているリアルの知人に、「なもまるってSNSやブログだけ見てると、どんな人かわからないから応援したいとも共感するともあんまり思わない」と言われてしまいました。

 

実を言うと私も自身のSNSやブログでの活動は決まった事しか書いてないし、自分らしさがあまりないんだろうな・・・と思うことが、多々ありました。

 

もう少し気軽に自分のことを知ってもらいたいとかいろんな人と関わってみたいと思いながらも自分のことを書いたり話したりする勇気がなかったんだろうな・・・と。

ネットの世界だから話せる事とかももっとあるはず・・・!とかネットの世界だからこそ普段話せないような事を話していけるようになりたいと少し前から考えておりました。

なので、ブログを始めてちょうど一年くらいたったので、これを気にもっと積極的に自分のことを話していけたらなと思います!

もちろんこれまで通りゲームやイラストのことも沢山書いていきますのでいろんな記事含めて見に来ていただけたらうれしいです!

 

早速なもまるについて話して行きたいと思いますが、なもまるは決して明るい子ではなかったので、ちょっと暗いお話もあるかと思います。それでもなもまるという人間について興味を持ってくれる方がいたら読んでくれると嬉しいです・・・!

 

 

なもまるの家庭環境と性格

なもまるはごく普通の一般家庭とはちょっと違う環境で育ちました。

他の人より家族がちょっと少ないです。

なので?性格は内気で、自分の思ってることをはっきり言えない子でした。

そして人見知りで、人の顔と名前をすぐに覚えるという謎の特徴がありました。

人見知りなので、ネットでも誰かに話しかける勇気がなくて、でも話しかけてもらえるとすごく嬉しい人なのです・・・。

ここらへんもっと積極的になりたいです。

 

私の家族は沢山の愛情をもって育ててくれたので、家族の前では明るい自分でいられまし、もちろん付き合いの長いお友達の前も自然体の自分でいられるので、友達が少なくても家族が少なくても、全然気になりませんでした!

 

なもまるの学生時代1

なもまるの学生時代はかなりくら~い?学生時代でした(笑)

 小学校・中学校と嫌われていて俗に言ういじめられる側の人間でした。

けっこうエグめ?の嫌がらせとか受けてました(笑)

 

ちなみに中学生の時のあだ名は【ゴキブリ】です(笑)

理由は黒髪で前髪が長め?だったからだと聞いてます。

多分それは全国の中学生の大半がそうなのではないかと思うのですが、いじめは不平等なもので、そんなの関係なしに言われてしまいます。

それ以外にももちろん嫌がらせはありました。

たとえば友達の携帯盗んで友達の振りをして私に悪口いってきたり・・・。

私の字をまねて男子にラブレター勝手にだされてたり、グループで無視したり・・・。

後は特定の男子からストーカーされる事件もありました。

正直この時の経験で少しだけ男性が苦手です。

ここら辺は中学生の時の経験です。

 

小学生はひたすら嫌われていただけの記憶しかありません。

 

今もよくいじめで自殺が起きていたりしますが、昔も今も変わらず・・・ですね。

でも、いじめで自殺したいと思うほど苦しくなかったです。

いや、本音を言えば苦しいしつらかったですが、私の中で学校は一日数時間過ごすだけに過ぎなくて、家に帰れば家族と楽しい時間が過ごせるし、大好きなゲームも沢山できるので、毎日学校生活のことより学校から帰った後の事ばかり考えて過ごしていたので、学校が中心になることがなかったから自殺まで考えたりはしなかったのかなって思います。

それでも人間、誰かに悪口を言われていると爆発することはあるので、爆発したときは家族にぶちまけていました。

 

ちなみになもまるは小学生の時から音楽を聴くのが好きで親にもらった音楽プレイヤーをランドセルや鞄に入れて、学校帰りの友達と別れた後、音楽を聴きながら帰ってました(笑)

音楽を聴いていると嫌なことも考えなくてすむのでいつも幸せな気持ちになれます。

 

 

なもまるの学生時代2

高校生からなもまるは絵を描き始めます!

正確には、中学校3年生のとき、女性向け恋愛ゲームの薄桜鬼にハマったのがきっかけです!

ゲーム自体は子供の頃からずっとやっていたので、薄桜鬼にハマるまで、スーパーファミコンのクロノトリガーとかボンバーマンとかやってました(笑)

懐かしいですねぇ・・・!またやりたいな・・・。

薄桜鬼のキャラクターデザインをされていたカズキヨネさんの絵に一目ぼれしてしまいました。

こんなにも美しい絵があるんだな・・・とOP動画で音楽に合わせて綺麗な絵が動いているのをみるのが、私の中ではすごい夢の世界にいるような感覚になっていました。

そして私もこんな絵を描けるようになりたいって思うようになりました。

ですがなもまるは絵を描きたいと思うまで、一切絵を描いたことがなく、漫画もほぼ読んだこともなくアニメもたまにみるくらいで極端にゲームばかりやっていたので、初めて描いた絵は壊滅的なヘタクソでカズキヨネさんの絵とは天と地の差でした(笑)

それでも専門学校に行きたくて家族に相談して、高校を通信制の学校に通いながら一年目はバイトをして学費を自分であつめられるだけ集めて、2年目から高校と専門学校を同時に通いました。

当然専門学校には美大卒の子や天才的にうまい子がいて自分の絵がとんでもなくひどいものに見えていきました。

そして専門学校でもやっぱりヘタクソだったので、常にヘタクソだということを言われているような空気感やたびたび言われたりしていました。

ただ、嫌がらせでいっているのではなく、なんだか試されているような気がしていて、私の中であきらめないぞ・・・!!!

と燃えていました(笑)

そして専門学校に通うまでほぼ絵を描いたことなかったなもまるはびっくりなこと高校卒業と専門卒業を同時にクリアし、ゲーム会社からの内定を得るという偉業をなしました(笑)

これはもう奇跡に近いです。

 

なもまるの会社員時代1 地獄のはじまり(笑)

そして晴れてゲーム会社での仕事がはじまりました。

正直いって地獄のはじまりでした。

ちなみになもまるは転職と派遣も含めてゲーム会社3社での業務経験があります。

初めの会社では、2Dグラフィッカーとしての採用でした。

なのでゲームの2Dグラフィックに関われるものと思っていたのですが、これが間違いでした。

もちろんたまに2Dグラフィックの仕事もありましたが、3年半ちょっと近くいた中でほとんどが、3DCGの仕事でした。

正直なもまるに3DCGはびっくりするくらい合わなくて、ゲームでも3Dのゲームは酔いやすいのですが、3D制作ソフトでモデルを動かしても酔ってしまい、一日で高熱と吐き気がひどくなったときがありました。

でも新卒で入って具合悪いときってどうすればいいのかわからないし、周りの人も気づいてくれなかったので3秒置きに外の空気吸いに行ってひたすらやり過ごしていました。

それから一年耐えたのち会社に仕事内容について訴えるようになりました。2Dとしての採用なので3Dばかりはおかしいのではないかと。

ですが、話を聞いるふりをしているだけで基本的に業務内容はかわりませんでした。

そして、もうすぐ務めて3年になるころに来た3DCGの案件で完全に精神が崩壊しました。

ものすごいクオリティ重視の案件を無情にも3Dに不向きななもまると3Dをこれから始める新人の子と2人でやるように言われやることになりました。

もちろん作ったものはクライアントにボロクソに言われ、まともなものが作れるわけもなく、納期がどんどん延びていきその間も残業をしなければならず、でも残業代は払ってもらえず・・・。

私と新人の子はどんどん疲弊していきました。

結局元から3DCGの仕事をしてる先輩が全て引き受け一瞬で納品になりました。

正直私たちがなんでその案件をやらないといけないのか?

どうしてここまで苦しまないといけないのか訳が分かりませんでした。

先輩ができるなら最初から先輩がやってくれよと。

スケジュールが厳しいならそんな案件引き受けるなと。

そんな不満が爆発していた時に不運にもなもまるは交通時に合ってしまい足を痛めてしまいました。

そして2週間弱ほど家でゆっくりしていたのですが、会社からいつ来るんだ?と催促され、足がケガしてるのだから治るまではいけないと言うと、働く意思がないんじゃないのか?と言われちらっと懲戒免職・・・と発言されました。

正直足は骨折はしていなくても足の上半分が打撲しており自身の体重をあまり支えられない状態のため会社には通いづらく、また仕事内容も不満しかなかったので、正直行きたくないという気持ちもあり、会社の人に働く意思がないのではといわれたときは、そうかもしれないな・・とは思っていました。

ですが、当時のなもまるは会社でも3Dの案件が多く2Dの経験が少ししかないため、2Dで他の会社に採用してもらうには実績がすくないと感じていました。

他の会社でも3Dになったらどうしよう・・・と不安でいっぱいで退職という選択を中々とれずにいました。

ですが、会社からの懲戒免職発言で、なんでこんな会社にいつまでもい続けてるんだろうか?他の会社で2Dの経験を積めないか探したほうがまだいい方向に行けるはずだと思って退職を決意しました。

 

ちなみに私が最初にいた会社は派遣も行っていて、3年ちょっとの期間のなかで派遣も経験しておりました。

でも派遣は業務ルール?的なのから残業は絶対なかったし、2Dの案件だったのでその時だけちょっと楽しかったのを覚えています。

なもまるの会社員時代2 地獄の続き(笑)

退職をし、次の会社探しをはじめました。

足をほぼ治してからの就職活動だったので、ちょっと空き時間がありますが、その時間を私はポートフォリオつくりをしておりました!

足は治ってなくても、腕は動きますからね!←後のフラグ回収になります。

 

ポートフォリオつくりの最中に突然のうつ病になりうつ病を治した後3~4社くらい落ちた後に受けた会社で面接したその日に正社員として採用されました。

 

さらっとうつ病と言いましたが病院には行っていないため正確なことはわかりません。ただ、うつ病に見られる、何もしない、寝たまま、死のうとする、絶望感でいっぱいになるといった症状が激しく出ていたので周りの人がみんなうつ病と言いました。

 

採用されたとき、なもまるはイラスト系ではなくUIデザインに興味があり、今でもそうですが、UIデザインを覚えられる新人は重宝される時代となっていたため採用されやすいことやUIの経験を積んでみたいという思いから、デザインで面接を受けました。

 

面接では自分のやりたいことを話しつつ「じゃあデザイン系お願いすることになるかな?」といった感じで採用されゲームデザインのアシスタントとして採用されました。

そしてこれも地獄のはじまりでした。

入って最初はデザインを少しやらせてもらえることもあったのですが、すぐに業務内容が変わっていきました。

何がどう変わったかというと、UIデザイン系の仕事のはずが、気が付くと・・・

電話対応・

来客対応・

打ち合わせのアポイント&連絡係・

打ち合わせ同行・打ち合わせの書類つくり・

外注や提携企業への請求書作成と送付・

外注への発注と管理・社内経理のエクセルの管理・

自社ゲームのお問合せ対応(メール&電話)・

自社ゲームシナリオ(プロット)・

自社ゲームの外注に出すための仕様書作成・

公式ツイッターの運営・

プッシュ通知・

声優さん用のセリフつくり・

声優さんの収録の収録同行・

になっておりました。

声優さんの収録の同行は正直貴重な経験なので、唯一のいいところかなと思います。

ですが、それ以外の仕事はUIデザイン系とは全くもって違う仕事内容でした。

そして一日の予定は、

電話対応・

来客対応・

打ち合わせのアポイント&連絡係・

打ち合わせ同行・打ち合わせの書類つくり・

外注や提携企業への請求書作成と送付・

外注への発注と管理・社内経理のエクセルの管理・

自社ゲームのお問合せ対応(メール&電話)・

公式ツイッターの運営・

この辺を毎日こなしながら、

自社ゲームシナリオ(プロット)・

自社ゲームの外注に出すための仕様書作成・

公式ツイッターの運営・

プッシュ通知・

声優さん用のセリフつくり・

声優さんの収録の収録同行・

紫の部分をその都度やっていくという感じでやっていました。

正直一日8時間労働として、そんな時間では終わらない仕事量でした。

そもそも人が少ない会社だったので一人の負担がひどいのが現状でした。

そして上記の仕事こなしていると、デザイン・イラスト系ではないため、ペンタブではなく、マウスとキーボードを使うことが明らかに多くなります。

そのまま業務を続けた結果両腕の腱鞘炎になりまともに生活ができなくなりました。

ここでフラグ回収しましたね(笑)

腱鞘炎でそんなになる!?と思われますが、腱鞘炎には種類あって、私の腱鞘炎は、

テニス肘系の最上級といってもいい病気で、

病名が【両上腕骨内外側上顆炎】というものです。

通常は上腕骨外側上顆炎上腕骨内側上顆炎と内側と外側で症状が分かれるのですが、私は見事に内側も外側も壊しました。もちろん右も左も壊しました。

この病気は筋肉の使い過ぎで起こるのですが、どうやら私は元々筋力がすくないタイプのようで、普通の人より腕が壊れやすかったようです。

そしてこの病気になってから、携帯も重くて持てない。じっとしていられない、立ってるだけでも重力で下に腕が引っ張らせて痛い。

電車では立っていられなく座り込んでしまい、鞄も持てず、まともに仕事ができなくなりました。

簡単に言うと手を使うことはほぼすべてできなくなると思ってもらえればわかりやすいと思います。

そして大好きなお絵かきもできなくなりました。

 

会社に相談しましたが、仕事量など改善することはなく整骨院に通いリハビリと痛み止めでなんとか耐えながら仕事をしていました。

ですが、キーボードもマウスも使えず、紙にペンで字を書くことももちろんできないので、会社では厄介な存在になりつつありました。

それでも他の人より時間をかけてでも仕事をこなしていると心配してくれる人はキーボードで文字を打つのを変わってくれることがあったり、と少しだけ助けてくれる人もいました。

当時は精神的にも肉体的にも余裕がなくてあまりお礼を言えてないのですが、本当にありがたかったです。

ただ、助けてくれる人もいますが、ほとんどの人は助けてくれるわけではありません。

私自身、自分が苦しい分には我慢すればいいと思ってしまうので、腕が痛いから手伝ってほしいと自分から言うこともできずにいました。

他の人からしたら腕が痛いからとか言われてもって思うでしょうしね・・・(笑)

なのでいつもと変わらず仕事を振られるので体に鞭を打ちまくって仕事をしていました。病院で処方されている痛み止めも高齢者が飲むような強いものになっていき、残すは注射の痛み止めのみとなりました。

さすがに病院の医者から注射は副作用がでるからダメと言われてしまったので、高齢者用の強い痛み止めで持ちこたえていました。

でも全然効かなくて塗り薬と兼用していましたが、気休めにしかなっていないようなきがしました。

そしてリハビリも、仕事をしながらなので当然よくなるわけなくて、途中でリハビリをやめました。

そのまま仕事を続け限界を迎えようとしているとき、開発中のゲームで取引先の企業さんと自社がちょっと揉めるようになっていました。

意見が合わなければ揉めることもあると思います。

それは仕方がないと思うのですが、そのやり取りはお互いの会社のディレクターやプロデューサー的な立場の人たちがメールや打ち合わせなどで話していたのですが、

ある日突然、私が連絡係にされ、私が取引先の企業さんとの話を引き継ぐことになりました。

とは言っても自社のディレクターやプロデューサーが言ったことを私が代弁し相手の企業さんに連絡するというものですが。

つまり私が窓口になり、上の人間の言葉を代わりに伝えないといけないので、私が直接喧嘩を売るようなことを言わなければいけない状況になりました。

そんなの当人同士でやればいいのに、と思いましたが、プロデューサー曰く、ディレクターが忙しいからメールで文字を打つ手間も惜しいとの事でした。

私から言わせれば両腕壊してる人間によく指示できるな・・・という気持ちでいっぱいでした、そんな文字打ってメールするくらいさほどの時間もかからないだろう・・・。

その結果私はお昼も食べることもなく丸一日動かない腕を無理やり動かし連絡係も毎日やり続けました。

ここまで来てようやく退職を考えました。

仕事が忙しすぎて退職を考える余裕がなく、体と精神が完全に崩壊してから退職を考え始めました。

とはいえその当時、新作ゲームの製作チームに入ってしまっていて、あと1・2か月耐えればリリースされる予定だったので、退職をすぐに言える状況じゃありませんでした。

そこから1か月・2か月耐えリリースした次の日に退職の話をし、そのまま退職しました。

 

なもまるのフリーランスへの道&両上腕骨内外側上顆炎の治療方法

そのあとは就職活動どころではなく、治療する日々が続きました。ですが、正直病院に行ってもよくならない、薬代がかかるだけで意味が感じられず、しばらく何もしないでゆっくりすることにしました。

その時の私はゲームのコントローラーも持てないのでゲームもできませんし、携帯も持てないのでスマホゲームもできません。テレビをつけてひたすら眺めているだけでした。そんな日が、半年くらい続いたんじゃないでしょうか?

親も心配していて必死で治る方法を調べてくれました。

そして腱鞘炎の専門医が書いていたネットの記事を見つけてきてこれ、やってみたらどうだ?と提案されました。

その内容はびっくりするほど簡単なもので、腕用のサポーターを用意し、正しい方法でサポーターをつけて過ごすだけでした。

正直これだけであれだけ苦しんできた痛みがよくなるのか信じられませんでしたが、

実際にサポーターを買ってつけてみるとびっくりするくらい腕の状態がよくなりました。そして日常生活も送れるし、ゲームもお絵かきもできるようになりました。

だから今、こうしてブログを書いて絵の仕事ができるようになっているわけですね・・・!

 

実際に私がサポーターを着用したときの状況を下記に書いておきます。

もし同じ病気で悩んでいる人がいたら試してみてください・・・・!

まずサポーターを用意します。

サポーターは医療用があれば最高ですが、意外と医療用って売ってる場所多くないので、私はスポーツ道具の専門店でスポーツ用のサポーターを買いました。

私は両腕なので2個買いました。2個で5000円くらいなのでそこまで高くないと思います。

そしてサポーターをつける際、痛い部分より少し上か下にずらして腕を90度に曲げた状態でサポーターを付けます。

腕を曲げるときは手を上にするような状態で曲げます。

腕を曲げた時に腕の関節付近の筋肉が張っているのはわかるかと思います。

その状態でサポーターをつけることで、サポーターがしっかりとサポートしてくれるので、痛みを抑えつつも作業が出来るようになります。

ただ、サポーターをつけたばかりの時は激しい運動や動きはせず、ちょっと携帯を持ってみたり、本を読もうとしてみたりとちょっとした負荷に耐えられるかどうか様子をみてみてください。

そうすれば少しづつ腕の調子が良くなると思います。

私はこの治療方法に本当に救われました。

 

腕の治療をし、今では長時間キーボードで文字が打てますし、絵も描けるし、普通の生活が送れるようになりました。

でも完治はしていないので、いまでも長文を打てば適度に休憩しないとすぐに腕が痛くなりますし、絵も力を入れすぎるとすぐ痛くなります。

ゲームも大半のゲームは遊べますが、リズムゲームやアクションゲームは痛みに耐えないとつらい時もあります。

でもゲームは楽しいので余裕で耐えて遊んじゃいます(笑)

そのあと苦しみます(笑)

日常生活では、長時間重いものは持てませんので、鞄はダサいですが、腰バックを腰に装着しております。

これ、結構楽です(笑)

可愛い服と合わないのが難点ですが・・・。

リュックやショルダーをもってショッピングモールに行こうものならだんだん立っていられなくなります。これは今でもあります。

なので買いもので服を買いたいときは荷物持ちしてくれる人を必ず連れていきます。

その人には申し訳ないのですが、私は買いたい服や買った物をもって歩き回ることもできません。

 

なので完治ではないので、まだ会社で働くのは無理かなって思います。

とは言っても私自身、企業で働いてきて、ひどい経験ばかりだったので、もう企業で働きたいと思わなくなりました。フリーランスで生活していける努力をした方が楽しいし、絶対に自分にとっていい結果になると思いました。

元々なもまるは企業で十分な経験を積んだらフリーなる予定で企業勤めしていたので、その時期が少し早まっただけと思うようにしてます。

 

こんな感じの人生をなもまるは過ごしてきました・・・!

同じように仕事でつらい思いをした人や病気で苦しんでる人に共感してもらえたり、誰かの支えや勇気を与えられるきっかけになってほしい事、私自身がもっと自分のことを話して行けるようになりたいと思うで今回かなり長いですが記事を書かせていただきました!

 

まだまだフリーランスで生活できるようになるには努力が必要なので、ちょっと弱くなった腕と一緒に頑張っていきたいと思います。